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まこと

Author:まこと
06年ホノルルで初フル
1961大阪市生まれ
大阪府茨木市在住
スキーとトライアスロンと甘いものが好きです
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「生き物を飼うのは難しい」

【飼育記録として】

4月4日
熊手で土を耕していたらミドリガメの赤ちゃんが刺さる。
甲羅から腹まで貫通しており、死んだと思っていたが、
しばらくしたら動いたのでプラケースで飼い始める。
甲長3cmくらい。

4月5日
市販のカメのエサを食べないのでペットショップで相談し
冷凍のアカムシを与えると食べた。子ガメは生食が好きらしい。

4月8日ごろ
市販のカメのエサも食べるようになり、すぐに大好物に。

4月
甲羅の穴はほぼ閉じる。左の前足も普通に動く。
毎朝エサくれダンスをしてガツガツ食べる。
カメは水を汚しやすく、水質が悪いと病気になりやすいらしいので水換えは毎日7割くらい。
新しい水はカルキを抜き、お湯で温度を調整して追加。
糞やエサの食べ残しもスポイトを使って掃除。

5月
水カビを発症。
首や足の付け根に白いモヤモヤしたものが付いている。
きれいに取り除き、うがい薬を薄めて綿棒で患部に塗布。
3日くらいで完治する。
水質が悪いと水カビを発症するらしいが、水換えをしなかったのはキャンプに行った2日間だけ。

6月14日
45cm水槽に引っ越し。
今までよりも水深をやや深く(5〜6cm)したが、元気に泳いでいるし、泳ぎも上手くなってきている。




7月5日ごろ
カメのエサを食べなくなる。冷凍アカムシは食べる。
カメの好き嫌いや偏食は時々あるらしい。

7月8日ごろ
大好物だったカメのエサを食べないので様子がおかしいのかと思う。

7月11日
それまでは保温用のバスキング・ライトだけだったので、
日光浴用の紫外線ライトを設置。

7月14日ごろ
冷凍アカムシも食べなくなる。赤ちゃんらしい活発な動きがない。

7月中旬
目を閉じたまま陸に上がって動かない時間が多い。
水換えと掃除は相変わらず毎日。水温は29度くらい。

7月16日
甲羅干しをしたまま目を閉じて動かずにしている時間が多い。
水に入ったら斜めに浮いている。

7月17日
明らかに弱っているので動物病院に連れて行く。
移動中や病院内では活発に動く。
内臓疾患ではなさそうだという診断。
甲長は4.5cmくらい。体重は14g。
獣医さんからビタミンAを摂らせるように指示されたのでビタミンAを含むエサを買って与えたが、口の前に持って行っても食べない。
水に溶かしてスポイトで口のまわりを濡らすが飲んでいるかどうかは分からない。

7月20日
相変わらず目を閉じたまま動きが鈍い。
たまに水に入ると斜めに浮き、時々水面で体を揺らす。
ビタミンの入ったエサを小さなケースに入れて水に溶かし、そこに頭を半分くらい浸けてみるが、飲んでいるかどうかは分からない。
翌日も医者に連れて行くことを決断。

7月21日
朝から目を開いていた。今までよりもやや動いている気もするが医者に連れて行く。
レントゲンを撮った結果、肺炎であることが判明。
熊手が刺さった左側の肺が炎症を起こしていて、あまり空気が入っていない。それが斜めに浮いていた原因だと分かる。
体重が13gに減っていた。
栄養剤の注射を打ってもらう。
獣医さんの指示で、水槽の水を減らし、甲羅が全部浸かってしまわない程度にする。

7月21日 夜
ヨメから電話で、カメが死んだことを知る。





衰弱している子ガメに注射は刺激が強かったのかもしれないし、もしかしたら移動の揺れがストレスになったのかもしれない。
逆に医者に診せずに死んでいたら、弱っているのが分かっていてなぜ病院に連れ行かなかったのかと後悔しているだろう。

人間は動物と会話ができないので、生き物は、しんどい、苦しい、お腹が痛いと人に言葉で伝えられない。しんどかっただろうに。

自分の過去の記憶をたどって、あの時はどんな様子だっただろう、何かのサインを見逃していなかったか、何かを自分に伝えようとしていなかったか、もっと何か気付いてやれることはなかったか、もっと早く何かの手を打っていれば助かったのか、1日中そんなことばかりを考えている。

たった3ヵ月半の付き合いだった。
もっと仲よくなりたかったし、大きくなっても責任を持って世話をする覚悟もしていたのに。

生き物の世話をするのは、喜びも多いけれど、亡くした時の悲しみときたら、立ち上がれないほど大きい。

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義父のこと

義父とは、初めて会ってからまだ7年くらいしか経っていない。
一緒にゴルフの打ちっ放しに行ったこともあるし、
コースを回ったこともある。
家族で食事をしたこともあるし、二人で食事をしたこともあった。

時々ではあったけど、そんな過ごし方をした中で感じていたのは、
この人は仕事をしながらたくさんの事を学んでこられたんだなと
いうことと、とても友人を大切にする人だということ、
子供の前では口にしないが、子供のことをいつも心配していること。

義父とは不思議と話が合った。
しゃべっていて、同じ空気の中で会話をしているような感覚があった。
年齢や人間の出来に差はあれど、価値観は近いような気がしていた。
もし義理の親子ではなくて、もし同い年の男同士に生まれていたら、
仲のいい友達になっていたかもしれない・・・そんな空想を
してしまうくらい、似た波長を感じていた。
叶うなら、お義父さんとは、もっと早く知り合いたかった。


義父の入院は1カ月半に及んだ。
医師は毎日のようにレントゲンや CT を撮り、手術後の経過や、
他の臓器を観察しながら投薬の種類や量を変更して可能性を探った。
休みも取らずに回診し、家族ひとりひとりへ細かくていねいな
説明をし、これほど誠意と責任感を感じた医師は今までいなかった。
看護師は数値の記録、投薬の管理から洗髪、様々な苦痛や不快を
軽減させる作業まで、24時間ICUの中で世話をしてくれた。
またその心配りが細かかったり、いろんな処置をする態度が
気持ちよかったり、それを見ているだけでどれほど家族の気持ちが
癒されたかわからない。
つくづく、医師や看護師という仕事は尊い仕事だと思う。
家族は家族で誰かが毎日ベッドの横に付き
次に来る家族に引き継ぐために朝昼晩の様子をノートに書きとめ、
義父の耳元で声をかけ、手足をマッサージして刺激を与えた。
特にヨメは、仕事があろうとなかろうと、ほぼ毎日神戸の病院へ通った。
医師も看護師も家族も、回復させるためにベストを尽くしていた。
もちろん強い精神力で闘い続けたのは義父ではあったが。

入院当初は義父も普通の状態だったので、病室でテレビを見ながら
ドラフト会議や早慶戦の話をし、帰り際には笑いながら片手を上げて
くれた。やがて徐々に会話ができなくなり、
声をかけると目を開いたり手を強く握ったりしてくれていたが、
最後に小さな力で手を握り返してくれたのは、亡くなる1週間前だった。

夜の0時半に病院から電話が入り、神戸まで車をぶっ飛ばして
ICUに走り込んだが、間に合わなかった。
義父の手や腕をつかむと、まだ柔らかく温かかった。
長期戦になると思っていたし、回復を願っていたので
すぐには受け入れることができなかった。

「先生、悔しいです・・」と言った言葉は涙声になっていた。
「ほんまにええお父さんやったんですわ。間質性肺炎なんて病気、
どこでもらってきたんでしょうね」
そう言っても先生は、何も言えずただこちらの目を見るだけだった。

普段病室で眠っている顔を見ていても、弱って行く人間の顔には
見えなかったので、必ず回復すると信じていた。
義父とはまだとことん付き合った感がなかっただけに、
この別れは辛かった。





驚いたことに義父は死に支度をしていた。
心臓の手術を受けるに当たって、生きて手術室から出られないことも
考えていたのか。皮肉な事に心臓の手術は成功し、命を奪ったのは
別の病気だったが。

まず遺影の写真を自分で選んでいた。
そして、自分の死去を知らせるハガキの文章も考えてあった。
特に関係の濃い友人や同僚には、これまでの感謝の気持ちを綴った
別の手紙の文章を用意していた。

最後に、「愛する家族へ」と書かれた大きな封筒が出てきて、
自分の妻、息子、娘に宛てた3通の手紙、だけかと思っていたら
娘ムコである俺宛のも1通入っていた。

予想もしていなかったので、まるでもらえると思っていなかった人から
お年玉をもらった子供のような、そんなうれしさだった。

通夜も葬儀も終わったあと、ヨメの実家で封をあけて読んでみた。
原稿用紙2枚余りの手紙だった。
何が書いてあるんだろうと思いながら1枚目の途中まで読んだところで、
ひとつの文章から目が離れなくなった。

「今思えば、まことさんとはもう少し早く家族になりたかった」


それを読んだ途端、涙が出てきて止まらなくなった。
義父も自分と同じことを思ってくれていた。
なんで死んでしまったんだろう。
入院中は家族みんなで優しくしたつもりだったけど、
一番優しかったのはこの人だったんだ。
こんな死に支度なんて、笑い話になってほしかった。


息を引き取ってから10日が経ち、
まだ受け入れがたい事実ではあるし、
今でも時々、夢を見ているだけならいいのにと思う事もあるが、
少しは気持ちも落ち着いてきている。

義父は死んでしまったけど、これからは自分と義父の
新しい付き合いが始まるような気もしている。

家族の祈り

とどけ

とどけ

とどけ

とどけ

とどけ

この1カ月半、家族はずっとそう祈りながら接してきた。

たぶん、きっと、とどいたと思う。


ただ、義父は息を引きとった。


自分の死を覚悟する時間も与えられず、
親しい人にお礼を言うことも叶わず、
家族に別れを告げることも許されず、
人生とはこんなにも無意識のうちに終わるものなのか。

前向きなお父さんたち

今日は文化の日で仕事は休み。
朝から義父の病院へ見舞いに。
狭心症で入院した義父は、
3週間に3度、全身麻酔をして手術を受けた。

手術によって体が受けるダメージは相当なものだと思うが、
78歳という年齢でそれに耐えたというのは、
かつて高校球児として体を鍛えたことがここに来て生きているのか。

今は手術直後なのでICUに入っており、
面会は1日に4回、各1時間に制限されている。
ICUにはたくさんの患者がベッドに寝ていて、たくさんの看護師さんが
忙しそうに働いている。義父の調子は比較的よさそうで、
話もスムーズで言葉もよく聞き取れる。
とにかくこのお父さんは気持ちが前向きで、
今はまだベッドに寝たきりで、口から物を食べることも
できない状態なのに1週間後くらいに退院するつもりでいるし、
リハビリもそろそろ始めようと自分の中で予定している。
お義父さん、それはまだ無理でしょ、とツッコミたいところだけど、
気弱になっている人を見ているよりはずっと安心できる。



たまたま友達のお父さんが北野で陶芸の個展をされていて、
その案内をもらっていたので、面会時間のアキを利用して
そっちにも足を運んでみた。

祝日だし天気もいいし、神戸の北野坂はたくさんの人が歩いていた。

小さなギャラリーだったが、花器や香炉、器などの作品が展示してあり、
たくさんのお客さんで賑わっていた。

実は9年前に自分が独立して事務所を持つ時、
このお父さんがコーヒーカップを2つ焼いて、お祝いにくださった。
でもご本人にお会いするのは今日が初めて。

忙しそうにされていたが、接客の合間を見て挨拶をさせてもらった。
名前を名乗ってから「実は○○さんに親しくしてもらってまして・・」と
自己紹介をすると、「あぁ~、娘から聞いてます」と、
とても喜んでくださり、仕事の話などで花が咲いた。

そして帰り際に、青い色のコーヒーカップをひとつくださった。
(本当は値段を付けて販売している作品なのに)

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はぁ・・行ってよかった。9年前のお礼も言えたし。


病院へ戻ると、こちらの父はテレビで六大学野球の早慶戦を見ていた。
お、早稲田は祐ちゃんが投げてる。テレビでピッチングを見るのは
甲子園での決勝戦以来だ。
すごい!7回までノーヒットピッチングなのか。
と感心して見ていると8回につかまり、慶応が5点を奪った。
今日は早慶戦といい日本シリーズ第4戦といい、
野球はいつどうなるかわからない。
てか、見舞いに来たのか野球観戦に来たのかわからないだろ、これじゃ。

ということで今日は、二人のお父さんの頑張っている姿に
見えないエネルギーをもらえたような気がした一日だった。
自分も前向きに頑張らなきゃ。

母の冷蔵庫

先週の土曜日、ぽかぽか日和のいいお天気の中、
妹の家族と一緒に母の墓参りに行ってきた。
母の墓は岐阜にある。
母が暮らしていた家に行くと、古い小さな冷蔵庫が置いてあった。

小学校6年の時に母が堺の市民病院に入院していたことがあって、
その時に病室で使っていた冷蔵庫らしい。
ということは・・・35年くらい壊れずに使われているわけ?

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母は亡くなって8年になるけど、
そういえば自分がサラリーマンを辞めて独立する時、母は
「会社起こすんやったら最低限、事務所に冷蔵庫だけは置いときや」
と強い口調で言っていた。

会社を起こすのに、一番大事なのは冷蔵庫なんかい!
って思って真剣に受け止めなかったけど、
母は当時離れて暮らしていたからか、食生活を心配してくれていた。
仕事で徹夜したとか、毎晩遅くまで残業しているとか、
そんな話をしたこともあったから息子の体が心配だったんだろう。

ご心配なく。
人間ドックを受けるたびに尿酸値が高かったり、腎臓結石が見つかったり、
不整脈が発見されたりするけど、それ以外は健康なので。
いや、母の安らかな眠りを覚ますにはこれだけで十分か。

感謝を忘れず

早いもので、行きつけのバーが3月18日で1周年。
お祝いがてら顔を出しに行ってきた。
手ぶらで行くのもなんなので、知り合いの花屋さんでバーに似合う
アレンジメントを作ってもらって持って行ったら、
すでにたくさんの花が飾られていた。

そうか、自分はすべては知らないけど、この店もいろんな人に支えられて
ここまで来たんだ。
そういうのを見ると、自分の商売じゃないのに、なぜか
「感謝しないといけないなー」っていう気分になってしまった。

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この店の開店記念日は、偶然にもうちの父の命日なのだ。
今朝、父の仏壇に線香をあげて手を合わせたら、
昔、父から教えられたりしつけられたりしたことの記憶が
なぜかたくさんよみがえってきた。
そして、仏壇の前で、あらためて自分の日常を振り返って反省したりも
してしまった。

みんな、誰かに力をもらって生きている。
死んでからも、父は自分にいろんなことを教え続けてくれているような
気がした。

真夏のお葬式

最初に言っておきますが、誰かが死んだわけではありません。


6年前だったか7年前だったか8年前だったか、
まだ父と二人暮らしの頃、
残業をして帰ってきて、レトルトのカレーを食べながら
テレビを見ていたら、夜なのにアニメをやっていた。

どうも視聴者から投稿されたいい話をアニメにして再現する番組の
ようだった。その日にやっていたアニメのタイトルは
「夏のお葬式」。

これがまたいい話で、カレーを食べながら泣いてしまった。
あまりにも印象が強かったものだから、友達に会うたびに
浜村淳のようにストーリーを解説して聞かせていたくらい。
そしてそれ以来、そのアニメが忘れられなくて、
2~3年前からネットで検索してみたけど、見つからなかった。

あんなに感動するアニメなのに、誰かがネタにしていても
よさそうなものなのに、いくら探しても出てこない。

しかし最近、数年がかりの執念が実ったのか、
ついにネット上に見つけてしまった。

それはちゃんとYouTubeにアップされていた。
その番組は「週刊ストーリーランド」という番組で
アニメのタイトルは「夏のお葬式」ではなく「真夏のお葬式」だった。
ひと文字違うだけで検索にヒットしないなんて・・・。

実際、「真夏のお葬式」で検索したらホイホイ引っかかった。



ほんの15分くらいのストーリーなのに、
ましてやスポ根以外ではめったに泣かないのに、
ブログを書きながら再生していたらまた泣いてしもた・・。

でも見つかってスッキリ。

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息子にやられた

プロ野球選手なら掛布雅之。

プロサッカー選手なら三浦知良。

横綱なら北の湖。

レーサーなら中嶋悟。

ミュージシャンなら吉田拓郎。

自分を信じて、自分のスタイルを貫いた男ってかっこいいなー、って
いつも思う。

そして、プロボクサーなら矢吹ジョー。
(なんでマンガの主人公やねん)

今朝、事務所の郵便受けに請求書が届いていて、
その封筒にあしたのジョーの切手が貼ってあった。

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うれし~。

そういえば、いつもイラストを描いて送ってくれる友達も、
前に届いた封筒に同じ切手を貼ってくれていた。

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どうしてみんな、矢吹ジョーのファンだってことを知ってるんだろう。
俺が矢吹ジョーのファンだっていうのは、そんなに知れ渡ってるのか・・・?
(ま、ブログにも何度か書いてるけど)


残業をして家に帰ったら、息子から何か届いていた。
うれしいことに、父の日のプレゼントらしい。

見てビックリ。





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描き始めたら意外と難しかったらしく、
徹夜して描いたらしい。

矢吹ジョーが好きだ・・・って、そんなにあちこちでしゃべってたのか?


昔、母が入院している時に、ちょうどその日は母の日だったので、
なぜか病室に置いてあったスケッチブックに、ベッドに寝ている母の絵を
描いておいた。

あとからそれを見た母がオイオイ泣いていたというのを妹から聞いた。

まさか自分が父の日に息子が描いた絵を贈られるとは・・・・・・。

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