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まこと

Author:まこと
06年ホノルルで初フル
1961大阪市生まれ
大阪府茨木市在住
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義父のこと

義父とは、初めて会ってからまだ7年くらいしか経っていない。
一緒にゴルフの打ちっ放しに行ったこともあるし、
コースを回ったこともある。
家族で食事をしたこともあるし、二人で食事をしたこともあった。

時々ではあったけど、そんな過ごし方をした中で感じていたのは、
この人は仕事をしながらたくさんの事を学んでこられたんだなと
いうことと、とても友人を大切にする人だということ、
子供の前では口にしないが、子供のことをいつも心配していること。

義父とは不思議と話が合った。
しゃべっていて、同じ空気の中で会話をしているような感覚があった。
年齢や人間の出来に差はあれど、価値観は近いような気がしていた。
もし義理の親子ではなくて、もし同い年の男同士に生まれていたら、
仲のいい友達になっていたかもしれない・・・そんな空想を
してしまうくらい、似た波長を感じていた。
叶うなら、お義父さんとは、もっと早く知り合いたかった。


義父の入院は1カ月半に及んだ。
医師は毎日のようにレントゲンや CT を撮り、手術後の経過や、
他の臓器を観察しながら投薬の種類や量を変更して可能性を探った。
休みも取らずに回診し、家族ひとりひとりへ細かくていねいな
説明をし、これほど誠意と責任感を感じた医師は今までいなかった。
看護師は数値の記録、投薬の管理から洗髪、様々な苦痛や不快を
軽減させる作業まで、24時間ICUの中で世話をしてくれた。
またその心配りが細かかったり、いろんな処置をする態度が
気持ちよかったり、それを見ているだけでどれほど家族の気持ちが
癒されたかわからない。
つくづく、医師や看護師という仕事は尊い仕事だと思う。
家族は家族で誰かが毎日ベッドの横に付き
次に来る家族に引き継ぐために朝昼晩の様子をノートに書きとめ、
義父の耳元で声をかけ、手足をマッサージして刺激を与えた。
特にヨメは、仕事があろうとなかろうと、ほぼ毎日神戸の病院へ通った。
医師も看護師も家族も、回復させるためにベストを尽くしていた。
もちろん強い精神力で闘い続けたのは義父ではあったが。

入院当初は義父も普通の状態だったので、病室でテレビを見ながら
ドラフト会議や早慶戦の話をし、帰り際には笑いながら片手を上げて
くれた。やがて徐々に会話ができなくなり、
声をかけると目を開いたり手を強く握ったりしてくれていたが、
最後に小さな力で手を握り返してくれたのは、亡くなる1週間前だった。

夜の0時半に病院から電話が入り、神戸まで車をぶっ飛ばして
ICUに走り込んだが、間に合わなかった。
義父の手や腕をつかむと、まだ柔らかく温かかった。
長期戦になると思っていたし、回復を願っていたので
すぐには受け入れることができなかった。

「先生、悔しいです・・」と言った言葉は涙声になっていた。
「ほんまにええお父さんやったんですわ。間質性肺炎なんて病気、
どこでもらってきたんでしょうね」
そう言っても先生は、何も言えずただこちらの目を見るだけだった。

普段病室で眠っている顔を見ていても、弱って行く人間の顔には
見えなかったので、必ず回復すると信じていた。
義父とはまだとことん付き合った感がなかっただけに、
この別れは辛かった。





驚いたことに義父は死に支度をしていた。
心臓の手術を受けるに当たって、生きて手術室から出られないことも
考えていたのか。皮肉な事に心臓の手術は成功し、命を奪ったのは
別の病気だったが。

まず遺影の写真を自分で選んでいた。
そして、自分の死去を知らせるハガキの文章も考えてあった。
特に関係の濃い友人や同僚には、これまでの感謝の気持ちを綴った
別の手紙の文章を用意していた。

最後に、「愛する家族へ」と書かれた大きな封筒が出てきて、
自分の妻、息子、娘に宛てた3通の手紙、だけかと思っていたら
娘ムコである俺宛のも1通入っていた。

予想もしていなかったので、まるでもらえると思っていなかった人から
お年玉をもらった子供のような、そんなうれしさだった。

通夜も葬儀も終わったあと、ヨメの実家で封をあけて読んでみた。
原稿用紙2枚余りの手紙だった。
何が書いてあるんだろうと思いながら1枚目の途中まで読んだところで、
ひとつの文章から目が離れなくなった。

「今思えば、まことさんとはもう少し早く家族になりたかった」


それを読んだ途端、涙が出てきて止まらなくなった。
義父も自分と同じことを思ってくれていた。
なんで死んでしまったんだろう。
入院中は家族みんなで優しくしたつもりだったけど、
一番優しかったのはこの人だったんだ。
こんな死に支度なんて、笑い話になってほしかった。


息を引き取ってから10日が経ち、
まだ受け入れがたい事実ではあるし、
今でも時々、夢を見ているだけならいいのにと思う事もあるが、
少しは気持ちも落ち着いてきている。

義父は死んでしまったけど、これからは自分と義父の
新しい付き合いが始まるような気もしている。

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コメント

私のようなものがコメントしていいのかどうか少し考えました。
でもコメントさせていただきます。

記事の内容を読んで涙しました。書き手と書かれ手のお互いの優しさと思いが伝わってくる文章です。
義理父様のご冥福をお祈りいたします。

★Paraさん
ありがとうございます。
考えたあげくにコメントをくださって、重ねてありがとうございます。
さらに涙まで流してくださったなんて、ほんとにほんとにありがとうございます。

支度をしていたといっても、もちろん義父は生きたがっていました。
「死」とは、取り返しのつかない非情な現実です。
そんな時に優しい言葉をいただくと、心に染みます。

承認待ちコメント

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★Hi Glenn
He was a really nice guy and a good father. He is still present in my mind. I am going to cherish his memory.

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